公園の猫 17

皮の名刺入れとフクロウの焼き印。

何故夫がこれを持っているのか…

たまたまなのか、それとも倉井と知り合いなのか、知り合いだとするとS子に言わなかったのは何故なのか?

可愛らしくデフォルメしたフクロウの顔は、考え込む自分を馬鹿にしているようにS子には感じられました。

中を確認すると夫自身の名刺が数枚入っているだけで、真新しい皮の、まだ硬い感触から使い始めて間もないように思えました。

夫が名刺入れを変えたのを自分に言わないでいる。別に普通の事のようにも思えるし、知られたくない事があるから言わなかった、と勘繰ればキリがありませんが、倉井の家で見たこのフクロウを自分の家の居間で見るのは場違いな気がしてなりませんでした。

風呂から出て脱衣室入る音がしました。S子はとりあえず上着をクローゼットに仕舞い、名刺入れは何故か自分でも解りませんがとっさにスマホのカメラで撮影して、元のポケットへと戻しておきました。

まだ考えが定まらない内に夫が出てきたのでとりあえず夕飯を温め、テーブルに並べました。ちょうど同じタイミングで夫も脱衣室から出てきました。

公園の猫 16

その日夫は忙しかったようで帰宅してパソコンの前に座ると、キーボードを打つ乾いた音をずっと響かせていました。

明日どうしても必要だから、とパソコン画面に集中していましたが、片付かないので先に風呂に入ってもらうようお願いし、食事は休憩の合間に温めれば食べられるよう並べておきました。

子供達はそれぞれ自分の部屋に入り、居間のパソコンを一時離れて夫は風呂に入りました。パソコンの画面には表とグラフが並んでS子の操作出来る範囲をはるかに越えていました。手伝いが出来ればと思ってみても何の役にも立たなそうでした。

椅子に掛けたスーツの上着をクローゼットに仕舞おうと手に取ると、普段何も入れない左のポケットが膨らんでいるのに気付きました。何気なく中を確認すると出てきたのは見たことのない名刺入れでした。確か今までは…使い込んだ黒い名刺入れを使っていましたが、買い換えたのかS子の手の中にあるのはやや厚手の皮のしっかりとした造りの名刺入れでした。

裁断や縫製に機械的な統一感がなく、ハンドメイド製のように思えるその名刺入れの端にある焼き印を見つけて、S子は一瞬息が詰まりました。

そこにあったのは倉井の家で見たあの焼き印、あのフクロウの焼き印がそこには押してありました。

 

ー続くー

公園の猫 15

異常とも思えた夫の性欲が治まってくると、S子も公園に寄るのを徐々に少なくしました。

急に変えるのも不自然だし、倉井と全く会わなくなるというのも失礼な気がしましたが、これ以上親しくなるのはどうしても違和感がありました。通ううち、慣れてきたところもありましたが、もう一歩踏み込んだ親しい付き合いをするのを自然と勘が働いて無意識にブレーキをかけていました。倉井の何がそう感じさせるのかは具体的に説明できないのですが、動物が危険を回避するような感覚でした。

たまにしか会わなくなった倉井は、寂しいけどお子さんがいるから忙しくなるよね、と理解を示してくれ、S子もその意見に便乗し適当な理由をつけてあまり来られなくなったことを残念がって伝えました。その時、気のせいかも知れませんが倉井が何か呟いたように唇が動いた気がしました。S子が視線を向けた時には、言葉の余韻が漂って徐々に消えていくように見えました。

しばらくその余韻が重くのし掛かるようで、二人とも無言になりました。重い雰囲気になるのを避けようと周囲を見渡したS子は、倉井のハンドメイド作品が模様替えしているのに気付きました。そこには革製品が追加され、皮のキーホルダーや小物入れ、名刺入れのようなものが並んで、作品には必ず倉井のデザインしたフクロウが、焼き印してありました。

S子がその事を尋ねるより一瞬早く、倉井が話始めました。倉井の話は結局S子が帰る時間まで続き、作品については聞けずじまいで終わりました。

倉井の自宅を後にしながら、倉井があえてその話題を避けるように話始めたような気がしていました。やはり何か倉井には信用しきれないところがあるとS子は感じました。そしてそういう勘はこれまで、間違ってないことが多いことも分かっていました。

 

ー続くー

公園の猫 14

初めて倉井の家に行ってから、土曜日になると倉井の家でお茶を飲むのが恒例となりました。アップルティーかストレートティーを飲み、ビスケットやクッキーを食べ世間話をしました。S子が近くにある評判の良い店で、洋菓子を買って持参する時もありました。

話すのは主に倉井で、S子はほとんど聞き役でした。S子に感想や意見を求めることが多かったのですが、その問い掛けにはいつもユーモアと余裕があり退屈することはありませんでした。何度か訪問しているうち雑然とした居間にも慣れ、家の裏の朽ち果てた不用品も気にならなくなってきました。毎回、同じように登場する猫は毎回同じように窓際の日向で丸まり、二人の会話に反応するかのように時折耳をバタつかせていました。

 倉井は自身のハンドメイド作品をS子に見せて作ってみないかと勧めてきました。

倉井が好きだというフクロウをモチーフに、ピアスやチャームなどが並んでいました。S子は子供の頃から何か作ったりするのが苦手で、工作や絵などの評価がいつも低く、センスの無さを実感していました。倉井にそう言うと、器用そうに見えるのに意外だと驚いていました。

土曜日は倉井と会い、日曜日のほとんどは一人公園の駐車場で時間を潰していましたが、夫は以前のようにS子を求めることも無くなっていました。

避けているのが分かったのか、それとも土日あれだけ時間を潰していれば、さすがに夫も感じるものがあったのか、激しかった夫の性欲は急に無くなってしまったようでした。少し可哀想にも思えましたが行為を無理に求められなければS子もここまで避けることもしなかったはずでした。夫は以前の優しい夫に戻り、S子も次第に時間を潰すことが少なくなりました。

 

公園の猫 13

居間の扉が開くと、ゆっくり入ってきたのは倉井ではなく毛足の長い猫でした。

S子と目を合わせ、しばらく見つめ合っていましたが興味を失ったように、日の差した窓際のクッションの窪みにすっぽり収まって動かなくなりました。

後から静かに入ってきた倉井は、ビスケットとアップルティーを乗せたトレイをテーブルに置いてS子の前に座りました。

(あの子はね、もう10年になるの。産まれてすぐ家にきて、病気一つしなかったんだけど) 

倉井は話しながら、S子の方にアップルティーと小さな籠に入ったビスケットを差し出しました。

(去年の暮れにね、足を引きずって帰ってきて、病院に連れてったら骨折してたんだけど、それが治ってからも何だか元気が無くてね。年のせいもあるんだろうけど)

こちらに背を向けた猫が会話に反応して耳をパタパタと小刻みに動かしました。自分の話をしているのが解っているかのようでした。

それからS子はしばらく倉井の話を聞いていました。この大きな家に住んでいるのは倉井と猫だけで旦那は5年前に亡くなっているということでした。

亡くなった旦那は地元の繁華街で飲食店を経営しており倉井はそのサポートをしていたようですが、亡くなってから店の方はずっと一緒に働いた旦那の一番弟子に譲り、倉井も店の方には関わっておらず、 今はアクセサリーの輸入販売や、自身のハンドメイド作品を販売しているということでした。

(まだ引退するような年じゃないんだけど、質素に暮らせば働かなくてもいい財産が残ったし、もう後は自分の好きなように生きようって思ったのよ)

S子は倉井が自分より一回りくらい年上だと思っていました。実際話す声も若々しく、ソファーに腰掛けても姿勢が崩れず、華奢な身体ですが強い体幹を持っているようでした。

ただティーカップを握る倉井の手は張りがなく、痩せて、皮膚の弛みと細かなシワが目立ち、倉井の身体の中で、手だけが異様に年を取っていました。あまり見ると失礼だと思いましたが、異様に年老いたその手に視線が向いてしまいました。

公園の猫 12

土曜日になり、S子は倉井の家に招待されました。

斜面を削って区画整理した住宅街の、上りきったところが倉井の自宅でした。白とピンクを基調にした大きな家で、庭も広く短く整った触り心地の良さそうな芝生が目を引きました。

倉井について門から庭に入り弾力のある芝生を歩くと、玄関よりも手前にオープンデッキがありました。居間とつながっていて、玄関からではなく居間の大きな窓から倉井は自宅に上がりました。倉井に言われS子も窓から居間へ入るとソファーに座って待っていてと倉井は言いました。

お茶を入れに行った倉井を待ちながら、S子は周りを見渡しました。いくつものテーブルの上に、ネックレスやピアスなどのアクセサリーや小物類、アメジストの原石が所狭しと並んで、透明のケースに入ったアンティークの玩具などは天井に迫りそうな高さに積み上げられており、明らかに過剰に、物を詰め込みすぎた居間でした。

窓の向こう、家の裏側には軽のワゴン車が見え、S子はソファーから立ち上がり窓の外を覗き込みました。

軽のワゴン車は随分以前からそのまま放置されているようでした。リアガラスには緑色のコケが広がっていて、車内にもカラーボックスのような家具や工具箱のようなものがありました。ホイルは錆びてタイヤの所には赤茶けたシミが滲み出ています。車と家の壁の間にはアウトドア用のテーブルや壊れた家具などが放置されていていました。

普段の会話から倉井のことをハンドメイド作品を趣味で作っている上品で裕福な主婦だと思っていました。家の大きさや普段着ているセンスの良い上品な生地の服、さりげなく身に付けたアクセサリーを見るとそれも間違ってはいないと思います。ただ家の表側と裏側のギャップを見て雑然とした居間にいると騙されているような居心地の悪さを感じました。

必要以上に警戒しすぎなのかも知れない。それとも何か妙に勘が働いているのか。偶然にも公園で知り合った人の自宅に招かれ、ここにいることが今になって不思議に思えました。浅くソファーに腰掛けリラックスできないままS子は探るように周りを見渡すと、雑然としたテーブルの上にあのフクロウを象ったアクセサリーの一角がありました。

その愛らしく惚けた表情はS子の不安を和らげようと微笑みかけているようでした。

公園の猫 11

あの女性に意見されてからも、S子は公園に寄って猫にエサを与えていました。

あれ以来会うと会釈するようになり、たまに向こうから近付いてきて話をすることもありました。

彼女は倉井と名乗りました。この近くで貸しスタジオとアクセサリー販売をしている、と言い、先日去り際に見たバッグチャームをS子に見せてきました。

フクロウを象ったバッグチャーム。青く透き通った中に混ざり合った色彩の渦が神秘的なアクセサリーでした。

バッグチャームは倉井のハンドメイド作品で、希望があればアクセサリー製作の体験も出来るそうで

(良かったら今度遊びに来て、やってみると面白いのよ)

そう言う倉井の笑顔を見ていると、誘いを受けるのもいいかと思うようになりました。

倉井は夫と二人暮らしのようでしたが、来週は夫が仕事で居ないから、と誘われ来週の土曜日に倉井の家に行くことに決めました。

 

ー続くー